4. 「正直そうなカオをしていても」、 「手は何をしているかわからぬのだ」
4.
「正直そうなカオをしていても」、
「手は何をしているかわからぬのだ」
(10巻94ページ)
All men's faces are true, whatsome'er their hands are.
「人間、だれでも顔だけは正直者だ、手が盗人であろうとな」
(『アントニーとクレオパトラ』2幕6場94ページ)
in Karakuri
3番のセリフに続き、ローエンシュタイン大公国編でのセリフ。不死の力を得るためにやわらかい石を手に入れようとするギュンター候からエリを助け出すため、ギイとルシールは武装集団20人とオートマータ達で守られた館へと突入する。 数で押してくる敵をものともせず、あっという間に殲滅に成功したギイに壊れかけたオートマータが口にした「優男のくせに…オリンピアの恋人…おまえは…マリオネットがうまい…」という言葉にギイがエスプリをきかせて言った言葉がこちらのセリフ。戦闘を終えたオリンピアをバックに余裕の態度で返答するギイの姿が夜に映える。
in Shakespeare
『アントニーとクレオパトラ』は10年に渡る戦争を描いたシェイクスピアの悲劇だ。そしてその戦争を引き起こしたのは、女の美しい顔であった。武将アントニーがクレオパトラという女の美貌に魅せられてローマを相手に取り戦ったといえば話は簡単なのだが、当時のローマの政治的背景などもあり、事はそうシンプルにもいかない。とはいえ、話の本筋はアントニーとクレオパトラの危険な愛、そしてそれを取り巻く戦争がメインとなっている。
こちらのセリフはアントニーの腹心の部下イノバーバスとかねてからの敵であったポンペーの仲間ミーナスの会話中の一文だ。『アントニーとクレオパトラ』の特徴なのだが、敵同士であるはずの連中が戦争以外の場では宴会をしたり、踊りを踊ったり、談笑したりといったシーンが多くある。政治的駆け引きや休戦などの理由があるのだが、見ていると混乱することも少なくない。イノバーバスとミーナスも戦場でのお互いの奮闘ぶりを褒めながら、握手し盗人同士で手を握り合うことを茶化しながら上のセリフを口にする。最初は自分たちのことを指して、「正直そうな顔」と言っていたのだが、次のセリフでは、「だが美人となると顔まで正直者ではない」とクレオパトラの話へと移っていく。絶世の美女と呼ばれるクレオパトラに心を奪われ、無用な戦いを挑み勝てるはずの戦にまで敗北していくアントニーの今後を占うように、二人は美女へと入れ込んでいくアントニーのことを語る。このシーンのように先の展開を暗示するようなセリフを会話の中に散りばめるのもシェイクスピアがよく用いるテクニックの一つだ。