『からくりサーカス』シェイクスピア引用文解説集

2013年秋の文学フリマにて無料配布いたしました「『からくりサーカス』シェイクスピア引用文解説集」をネット用にまとめ直しました。

10. 「楽しさのない処にはなんの得もない」

10.

「楽しさのない処にはなんの得もない」

4187ページ & 42145ページ)

 

No profit grows where is no pleasure ta'en:

「楽しんでやらなきゃなにごとも身につきはしません」

(『じゃじゃ馬ならし1129ページ)

 

in Karakuri

 いよいよ最終決戦直前、世界中に蔓延するゾナハ病を止めるには宇宙ステーションに飛んだ黒幕に直接会いにいくしかない。スペースシャトルを運び、宇宙空間に鳴海を送り込もうとする人間の作戦をオートマータに知らせようとする者たちがいた。三牛親子はもうすでにオートマータに脅され、敵のスパイとして動いていたのだ。そんな三牛親子のもとにやってきたギイは事も無げに「君達が敵のスパイだっていう話さ」と言い切る。敵に情報を渡す三牛親子を見届け「観客のいないサーカスは楽しいかい?」と聞いたところで、上のセリフを言い捨てギイは親子の部屋を去っていく。

 

inShakespeare

 緊張が張り詰めていく漫画とはうらはらに、セリフの引用元はなんとも緊張感のない喜劇の緊張感のないシーンからきている。『じゃじゃ馬ならし』という劇の最初のシーンで、ルーセンショーという若者とその従者トラーニオはパデュアの町についたばかりでこれからの生活に思いを馳せる。学問を身につけたいと語るルーセンショーにトラーニオはあまりストイックに行きすぎず、好きなものを勉強するのが一番だと上のセリフを交えながら語る。

じゃじゃ馬ならし』は少し変わった始まり方をすることで知られた作品である。スライという酔っ払いが道端で眠っていると、領主がやってきてある悪戯を考えつく。スライを屋敷に連れて帰り、領主であると信じ込ませようというのだ。まんまと引っかかったスライのために劇中劇が始まる。そうして始まった劇中劇が『じゃじゃ馬ならし』の本筋であり、先に紹介したルーセンショーたち登場のシーンという訳だ。ちなみに劇中劇が始まった後、何回かはスライが登場するのだが、最終的には一切出てこなくなり、スライがその後どうなったかは誰にもわからずに終わる。 そんな訳なので、スライの登場シーンはカットされてしまう演出も少なくないようだ。

じゃじゃ馬ならし』はもう一つ、男尊女卑の作品であると批判を受けることが多いことでも有名な作品である。内容をかいつまんで説明すると、ある乱暴者で有名な女性キャタリーナを持参金目当てで結婚しようとするペトルーチオが更生させるという話なのだ。キャタリーナも本当に乱暴な娘として描かれるのだが、それを矯正しようとするペトルーチオの方法もものすごい。食事はろくに食べさせない、夜は眠らせない、着るものはキャタリーナの好まない物ばかりと、彼女をいじめ抜くのだ。最後にはキャタリーナは貞淑で理想的な妻となりめでたしめでたしとなるのだが、現代ではうまく演出しないと女性差別の槍玉にあげられてしまうだろう。

 

 映画の中でも名画としてあげられるのは、1967フランコ・ゼッフィレリ監督作品の『じゃじゃ馬ならし』がある。実の夫婦でもあった(離婚もしているが)リチャード・バートンエリザベス・テイラーがそれぞれぺトルーチオとキャタリーナを演じている。いじめにも近いキャタリーナの教育の裏にぺトルーチオの愛が確かにあることを感じさせる演技が心憎い。